「私は白潟小学校出身で、あの頃はいい景色だったが今頃はどうなっているものやら。小学校の間辛抱して通ったがとにかく冬の寒さは厳しかった。11月から3月までは湖岸に出ることもできなかった。夏に宍道湖で泳いだ時、水を舐めてみると多少塩気があるくらいだった。子供の頃、学校から走って帰って裸で泳いだり、嫁ヶ島にも渡ったりしたものだ。腰までつかって島へ渡り、秘密基地にしていた。嫁ヶ島には、嫁ヶ島を歌った漢詩の石碑[永坂石埭の詩碑]がたっていた。[在学していた]島根県立商業学校は宍道湖でボートレースなんかもやっていて、その時、汽船で生徒300人くらいが嫁ヶ島に渡った。その時、書道の先生が石碑の漢詩を読んでくれて、漢詩もいいものだな、と思った。」(「インタビュー」より) |
織田一磨
おだかずま
出雲風景 宍道湖
いずもふうけい しんじこ
大正十四年(1925)、石版色摺、[新庄コレクション]
Oda Kazuma
Views of Izumo Province; Shinji-ko Lake
[Shinjō Jirō collection]
日本の近代石版画のパイオニア的存在である織田一磨は1922年から25年にかけて松江に居を構えました。織田創作版画研究所を開設して島根県の版画普及に努め、島根県の風景も数多く描いています。この作品では、強い陽射しとむせかえるような熱気に包まれた夏の宍道湖を、鋭くエネルギッシュな線や滲みのある線でとらえています。
川瀬巴水
かわせはすい
湖畔の雨(松江)
こはんのあめ(まつえ)
昭和七年(1932)、木版色摺、[新庄コレクション]
Kawase Hasui
Rain at Lakeside in Matsue
[Shinjō Jirō collection]
新版画運動の中心的画家の一人である川瀬巴水は全国各地を旅し、描いたスケッチをもとに数多くの風景版画を発表。島根県の風景を題材とした作品も10点ほどのこしています。本作品はその内の1点で、雨降る宍道湖の風景を描いています。雨に煙る湖面を熟視すれば、宍道湖の象徴・嫁ヶ島のシルエットも。あえてバレンの摺り跡を残すことで、雨、湖、大地から受けた感興まで画面に込められているようです。